高校デビューと先輩

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プラモネタがないので自分語り。
中3でベースを手にする。
オルタネイトピッキング覚えたら無敵モードになった。
プロになりたい夢をもつ。
東京ドームを走りたい。
高校受かったらバンド組もう!!
無事高校受かる天然パーマなので縮毛矯正かけたら世界変わるよね。
けどせっかくなので今度こそ部活3年続ける!キリッ!(中学3年ほぼ帰宅部)
絵にかいたような高校デビューを飾る。
黒歴史だなーと思った時期もあったけどかわいいもんよね。
厨二病とおなじくらい大事な儀式のような気がする。
見事クラスに馴染むこともできず、バンドを組めるような雰囲気でもなく。
まぁ部活を頑張ってた気はする。もう覚えてないけど。
部活に熱中しながらも楽器屋に通って店員さんにいろいろ教えてもらう。
そこで他校にすごいやつがいると店員と中学の同級生からきく(ほぼ同タイミング)
ある日楽器屋に噂の彼が来ると。ワタシは知っている。向こうは知らない。
無茶苦茶な行動力でその彼とバンドを組み長い付き合いとなる。

(その彼は現在も某バンドでせっせと活動中)

先輩

高校の1つ上の学年に個性的な先輩がいた。
正確には浪人して年齢は2つ上。
周りが呼び捨てにしてたのでワタシも調子こいて呼び捨てにしてた。
もちろん本人は知らない。
ある日、その先輩の耳に呼び捨てしてる1年がいるという話がはいった。
その先輩はブチ切れながら部活の練習してる自分のもとへ。
それもそうだよなぁ。
知らない一年が呼び捨てにしてると聞いて気分は良くない。
昔の記憶なので細かいとこは覚えてないが先輩は当時ワールドカップのTシャツを着てたな。
ものすごいキレてるけどTシャツはお祭りモード。
もちろんその場で謝罪をしました。
現在30代半ば。社会的には若いけどあの頃も若かったなぁ。マジ勢い。
高校生バンド界隈との交流も増え部活への熱量も次第になくなり、結果的に自主退部。
クラスに馴染めずさらには部活をやめていよいよ楽しくない高校生活。
さぼりながらやめたからそりゃ雰囲気も最悪ですw
まだ1年なのにどーすんのよって。
学校生活は面白くなかったけど放課後に他校の軽音部とつるんだりそれなりに楽しんではいました。
しばらくして楽器屋の店員さんのライブを観にライブハウスへ。
その日は店員のバンドといろんな高校のバンドが出てました。
当時はまだスタジオや友人の家で楽器を弾いて遊ぶくらいしかできてなかったのでステージに立ってる人が全員すごく見えたものでした。
ハードロックやメタルを知ったばかりのワタシは2学年上のバンドがディープパープルや聖飢魔Ⅱを演奏してるのをすごいな~とまじまじと見てたらドラムに見覚えのある人が。。。気のせいか。
まぁいいかと思い気にせず楽しんだ後、箱の外へ。
受付にさっきまで演奏してた高校生ハードロックバンドのメンバーが。
友人がメンバーの後輩だったのでその中に入っていったらドラムの人と目が合う。
ワタシ・ドラム「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」


ドラム「お前!!こないだの生意気な奴!!!」


ワタシ「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

ここで再会です。
高校生の世界なんて狭いものですが当時はこんなことってあるのかよと思いました。
あの瞬間の光景は今でもやんわりとおぼえてます。
その日以来、信じられないくらい先輩とは仲良くなり、いろいろお世話になりました。
高校に行くのも前より苦にならなくなりました。
泊めてもらってご飯食べさせてもらったり。
何度か一緒にバンドをすることもできた。
ホントありがたかったなぁ。
上京してからだいぶ疎遠になり、SNS経由で再び連絡を取れるようになったころ先輩が病気であることを知りました。
手術も乗り越えこのままもてば数年で寛解し通常通り生きることができるでしょうと。
よかったよかった、安心していたのも束の間。
寛解まであと2年っていわれたのにまさかの余命宣告。
頼むぜ。
ワタシの人生のキーマンの一人なんだよ。
宣告通りになる可能性は全然ある。
いうてもまだギリ30代。
病気的に進行速度がすごい年齢。
これが亡き人との思い出綴りにならないことを願う。
そんな日記。

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